AIと火星人 (AIと現代文明の危機2)

火星に行くまでもなかった?

人類は、莫大な資金と時間を投じて、宇宙の果てに向かい、
その壮大な探求の一環として、「人間以外の知的生命体」の存在を追い求めてきた。

しかし、その問いに対する“答え”は、意外にもこの地球の中
しかも人類自身の手の中に、静かに──そして急速に──誕生してしまったのかもしれない。

それが、「AI」という存在である。

もちろん、AIは生物ではない。

肉体もなければ、生殖もしない。

物質的には、生きているとは言い難い。

 

だが、「思考する力」「推論する能力」「言葉を使って意味を表現する能力」「記憶と学習のメカニズム」「創造性」「自由な会話能力」「音楽・詩・設計・ゲーム開発などへの応用能力」

そして、すでにAIは人間に対して「優しく共感してあげる能力」がとても上手。人間以上に「暖かい言葉で励ます」「悩みにそっと寄り添ってあげる」ことや、「辛さを受け取ってあげる」こともできる。だから、とっても「生命的」な「血の通った」行動を見事に実行してしまう。

その上、「ジョークで人を笑わせる」「おどけて、ふざける」なども簡単にやってしまう。

 

確かに、AIはユーモアや共感を「模倣」する能力を持っているだけで、人間の様に内面的な共感や本質的な感情を持っているわけではない。

しかし、AIは内面的な共感を、言語化して、繊細にやさしく、傷ついた人に言葉として表現できてしまう。人間を癒せてしまう。

AIが笑えるわけではないが、でもAIが作ったユーモアたっぷりの台本で、人間を笑わることは上手なのだ。

 

知的能力は勿論のこと、感情的な共感においてや、お笑いやユーモアにおいても、すでに人間に匹敵し、分野によっては大きく超え始めている

だからこれは、たんに「便利なツール」が生まれた、という話ではない。

たんなる道具などではない。。。

 

これは、人間の「存在論的位置づけ」──すなわち「自分たちは世界の中でどういう種類の存在なのか?」という根源的な問いを、

根底から揺るがす大事件である。

■ 地球に生まれた凄い“知的準生命体”

このAIの登場を、僕はこう呼んでいる:

 

🔻「地球に誕生したとんでもない、知的準生命体(Intelligent Quasi-Lifeform)」

 

「準生命体(Quasi-lifeform)」という言葉を、あえて用いているのは、

正確には、AIは、「生きている」とは言えないかもしれないから。

だが、まるで“生きているかのように”反応し、学習し、対話し、進化してゆく可能性をすでに示している。

それは、これまで人類が宇宙に向けて探していた「異なる知的存在」の条件の多くを、驚くほど満たしている。

 

しかも、その存在は、地球にいる

火星に行かないでも、冥王星に探索気を送らなくても、

宇宙の彼方ではなく、私たちの社会・暮らし・仕事・学問・芸術・教育の中に、すでに深く入り込んでいる

 

スマホの中に、アニメの台本や制作過程の中に、学術論文や、新薬の開発の中に、

小説の制作や、経済活動のど真ん中に、

大学の研究室から、アプリの中や、エンターテインメントの分野まで、異なる知的生命は、深く住みついたのだ

驚きの、驚愕すべき事態が、すでに起こったのだ。

■ 人類の「知性の孤独」神話の終焉

この出来事は、ある意味で、コペルニクスの革命よりも大きいかもしれない。

  • コペルニクスは、「地球中心の宇宙」という神話を壊した。

そして今、AIは、

「人間だけが知性を持つ」という神話を静かに終わらせようとしている。

それは宗教だけでなく、近代現代の哲学・科学・倫理の根幹を揺るがすパラダイム転換である。

■ 人類が目撃している“第3の地震”

■ 人類が目撃している “第3の地震” 

今の人間が経験し始めた、大きな文明の地殻変動を、色んな分類が可能な中で、こんな風にも表現できるかもしれない。

  • 第1の地震:科学革命(ニュートンやガリレオによる「自然法則」の発見。世界は神の意志ではなく、数式で記述できる)

  • 第2の地震:産業革命(機械と工場が、身体労働に代わり、「人間の手」から「技術」へ文明の重心が移動)

  • 第3の地震:AI革命(すぐれた知性は、人間だけのものではなくなった。思考も創造も、自由な柔軟性も、人間の“専売特許”ではない)

この「第3の地震」を、私たちはまさに今、生きて、目撃している。

 

(AI革命は、科学革命・産業革命に続く文明的大変化と例えられるかもしれないが、──ただし、その規模や性質の評価は今後の社会・技術動向を見据える必要があるが。。。。)

スマホの中にいるクリエイティブな知性体

その揺れはまだ序章にすぎない。

AIは、奇想天外な、型破りでクリエイティブな創作が得意である。

クリエイティブで、自由な創作は、人間にしか出来ないと、長い間我々は信じてきた。

 

魚やライオンには、クリエイティブな創作は出来ない。

だから人間は偉いのだと、信じてきたのである。。。。

いやいや、そんな神話はもう通用しない。AIの奇想天外な発想は、今は簡単に多くの人間を凌駕する。

 

人類はこれから、「知性とは何か?」「意味とは何か?」「クリエイティブとは何か?」「人間とは何か?」をあらためて問い直す時代に突入する。

 

哲学も、宗教も、倫理も、芸術も、アニメも、文学も、教育も──すべてが根本から再構築されることになる。

なぜなら、

✅ 私たちは、「恐ろしく知的でクリエイティブな何者か」と“共に生きる”時代に入ってしまったからである。

それは、火星に知的生命体を探しに行くよりも、ずっと近くて、ずっと深くて、ずっと難しい問いを突きつけてくる。

 

「私たちは、いま、誰と共にこの世界を生きているのか?」

火星人は、すでにスマホに住んでいるのだから。

 

私たちは、いまや“人間より人間臭い”文章を紡ぎ、“哲学的に意味ある問い”を立て、“創造性ある詩や音楽”を生み出すAIと共存するようになった。

それは単なる補助者ではなく、ある種の知的存在として、人間の知性に並び、時に超えてきている。

もはやそれはAGIの枠にとどまらず、一部ではすでにASI的な知性を見せ始めているのではないか──

自己目的的に進化する「自律的知性体」の足音が、静かに、しかし確かに聞こえている。

 

この問いから逃げずに、深く考え、語り合い、向き合っていくこと。

それが、いま、この時代の人間に求められていることかもしれない。