レベル0からの数学論(第10回):数学は普遍的なのか?─人間の意識の形と数学
数学は「普遍的で客観的」だとよく言われます。
たしかに、誰が計算しても同じ答えが得られるという意味で、
数学は、どんな場面でも通用するように見えます。
しかしこの記事では、
数学の客観性や普遍性が、
無条件に成り立つものなのか、
もしそうでないとすれば、
完全な普遍性ではなく、
ある範囲や条件のもとで成立している普遍性なのではないか
という点を問い直します。
数字の区別や、数の等間隔といった、
私たちが普段ほとんど意識しない前提条件に注目しながら、
数学がどのような条件のもとで成立しているのかを、
具体例を通して検討していきます。
その上で、
数学が「世界そのもの」を扱っているのか、
それとも「人間にとっての世界」を扱っているのかを、
あらためて考えていきます。
この「レベル0からの数学論」シリーズは、
数学を否定するのではなく、
数学が成立するための、いつもは前提条件として気がつかないもの(=レベル0)から、
数学を捉え直していくシリーズです。
ここでいう「レベル0」とは、
数や算数の計算以前に、
私たち人間が世界をどのように経験し、
どのような前提のもとで数学を使っているのか、
その意識の形式や経験の土台を指しています。
この記事は、「レベル0からの数学論」シリーズの第10回にあたります。
これまでの回では、数学が成立するために不可欠な前提条件を、
一つずつ分解しながら検討してきました。
これまでの記事一覧
第1回: 数学とは何か?「数学が始まるための条件」
第2回: すべての数学は「区別」から始まる
第3回: “同一性”と“順番”がなければ数学は成立しない
第4回: 数学は「因果」と「持続」がそろって初めて働く
第5回: 数学と空間
第6回: 数学と時間:数学が時間に依存している理由
第7回: 足す・引く ― 計算の前に必要なOS
第8回: 比較する・比べる
直前の記事(第9回)では、
「自分という存在 ― 3次元OSの全体像」を扱いました。
今回の記事(第10回)では、
それらの前提条件を踏まえた上で、
「数学の普遍性とは何か」という、
このシリーズの中でも特に重要な問いを扱います。
具体例①:数字どうしを区別できなければ、計算が始まらない
まず極端な例から行きます。
もし「2」と「3」を、はっきり区別できないとしたらどうなるでしょうか。
ここで言っているのは、注意不足や計算能力の問題ではありません。
「区別できる」という認識の前提そのものが、不安定な状況を想定しています。
たとえば、目の前に 2という数字 と 3という数字 がある。
しかし「2」と「3」が明確に区別できない、あるいは重なる、又は同じになり、─あるいは瞬間ごとに入れ替わってしまうとしたら──
-
「2+3=5」という式は、そもそも 何を表しているのか確定しない
-
同じ計算をしても、次の瞬間には「2が3に変化してしまう」「3が2に変ってしまう」など、前提の前提が崩れる
-
そうすると答えが合う/合わない以前に、問い自体がそもそも成立しない
つまり算数や数学の計算は、「間違った答えになる」のではありません。
それ以前に、“問い”として成り立たなくなるのです。
算数や数学の計算は、数字がそれぞれに明確に区別できることを、最初から前提にしています。
逆に言えば、数字が安定して区別できない世界では、基礎的な算数そのものが成立しません。
具体例②:数が等間隔で並ばなければ、「足す・引く」の意味が崩れる
次にもう一つ、私たちが普段ほとんど疑わない前提です。
それは 数が等しい間隔で並び続けるという感覚です。
私たちは当たり前のように、
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1の次は2
-
2の次は3
-
「+1」はいつでも同じ分だけ増える
と感じています。
これは計算能力以前の問題で、
私たちの意識が、そうした世界のあり方を当たり前の前提として、毎日経験しているということです。
しかしもし「数字の間の間隔」が一定でない世界だったらどうなるでしょう。
たとえば、ある世界では
-
1→2 の増え方は「とっても小さい」
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2→3 の増え方は「急に大きくなる」
-
3→4 の増え方は「今度はほとんど増えない」
というふうに、“1増える”という意味が場所によって違う とします。
すると、
-
「+1」という計算が 同じ計算ではなくなる
-
「2+1」と「100+1」が 同じ意味を持たない
-
「等しい」「同じだけ増えた」という比較が成立しない
結果として、足し算・引き算のルールそのものが、普段の形では維持できません。
計算力の問題ではなく、数学の基礎が崩れ、“基礎的な計算の意味”を支える土台(等間隔)がなくなるからです。
人間の意識の形式に沿って成立している
この二つの例が示していることは、とても単純です。
数学が普遍的に見えるのは、
数字の区別や等間隔といった数学のさまざまな前提条件が、
人間の普段の意識の中では、成立できているからです。
私たちは、人間としての意識の形を通してしか世界を経験できません。
したがって数学が扱えるのは、
人間のOSに依存しない、OSとは独立した「世界そのもの」の姿ではなく、
「人間の普段の意識の形を通して経験する世界」の範囲に限られます。
結論
ここで言いたいのは、数学が「間違っている」ということではありません。
むしろ逆で、人間としての普段の意識の形(OS)が安定して働く範囲では、
数学は驚くほど強く、他人と共有可能な形で機能します。
だからこそ私たちは、日常の中で数学を「普遍的」なものとして、安心して使うことができるのです。
そしてここで言っているのは、
「数学がまだ十分に発展していない」とか、
「将来もっと高度な数学ができれば、扱えるようになる」
という話ではありません。
そうではなく、
数学という営みそのものが、
人間の普段の意識の形式――
人間としての内部環境(3次元OS)――を前提にして成立している、ということです。
数学は万能ではありません。
数学は、人間の内部環境、
すなわち、人間の普段の意識の形の中でのみ、
はじめて意味を持ち、機能するものです。
人間の持つOSが、世界をある一定の形として経験し、
たとえば
「区別できるもの」「比較できるもの」「等間隔に並ぶもの」
として経験するからこそ、
数学は驚くほど強力に働いているのです。
しかしその様な、普段の人間の意識の形が成立しない環境では、
基礎的な算数さえ、成立するのは難しくなります。
したがって数学は、
世界そのものの万能言語ではなく、
人間の普段の意識の状態・形式に深く依存し、
その内部で最大限に洗練された、人間のための技術体系なのです。
これまでの記事一覧
第1回: 数学とは何か?「数学が始まるための条件」
第2回: すべての数学は「区別」から始まる
第3回: “同一性”と“順番”がなければ数学は成立しない
第4回: 数学は「因果」と「持続」がそろって初めて働く
第5回: 数学と空間
第6回: 数学と時間:数学が時間に依存している理由
第7回: 足す・引く ― 計算の前に必要なOS
第8回: 比較する・比べる
直前の記事(第9回)では、
「自分という存在 ― 3次元OSの全体像」を扱いました。

