現代マインドフルネスの本当の源流: マインドフルネスはどこから来たのか?マインドフルネスは禅ではない??
― 禅ではなく、上座部仏教(Theravāda)から来た「気づきの技法」
「マインドフルネス」と聞くと、多くの人は「禅」を思い浮かべます。
たしかに、“Zen Mind”“禅的な静けさ”“無の境地”という言葉は、
現代の瞑想やウエルネス文化の中で、しっかり根を下ろしています。
しかし。。。私自身、オックスフォード大学で西田幾多郎の哲学――「絶対無の場所」の思想――を研究していた頃、
専門書や学術論文の中では、マインドフルネスは上座部仏教(Theravāda)系の実践から発展したものとして
紹介されることが多い印象を持っていました。
つまり、マインドフルネスは「禅(Zen)」というより、
南方仏教の“サティ(念)=気づきの訓練”にルーツを持つ――それが学術的な共通認識だったと記憶しています。
ところが、長い海外生活を経て日本に帰ってみると、
日本では多くの人が「マインドフルネス=禅的な瞑想」として受け止めていることに驚きました。
テレビ番組や書店の棚でも、「禅に学ぶマインドフルネス」「現代の坐禅」といった言葉が並び、
まるで“マインドフルネス=日本の禅の輸出版”のような印象が広がっています。
しかし実際には――
その源流はまったく別の方向にありるのでは。。。と思います。
つまり、“日本的な禅の静寂”というより、“南方仏教的なサティ(念)=気づき”の実践。
ここを理解すると、マインドフルネスの特徴がよりクリアに見えてきます。
🔸 「宗教としての修行」と「科学としての実践」― 同時発生した二つの潮流
1970年代のアメリカでは、マインドフルネスに直接つながる瞑想の二つの潮流が、
ほぼ同時期に並行して発展しました。
一つは、
インドやビルマで修行した ジャック・コーンフィールド、シャロン・サルツバーグ、ジョセフ・ゴールドスタイン らが1975年に創設した
Insight Meditation Society(IMS) を中心とする「修行共同体としてのヴィパッサナー瞑想」。
上座部仏教の伝統に基づき、「観察」「気づき」「判断しないこと」を重視する瞑想法が、在家の人々にも開かれました。
もう一つは、
同じく1970年代に ジョン・カバットジン が医学・心理学の立場から再構成した、
Mindfulness-Based Stress Reduction(MBSR)=マインドフルネス・ストレス低減法。
(1979年、UMass 医療現場でカバットジンが開始)
こちらは宗教色を排し、医療や教育現場でも使える形に翻訳された「科学としてのマインドフルネス」です。
どちらも共通して、
仏教の「サティ(念)=今この瞬間に気づく力」を核にしていますが、
アプローチの方向が異なります。
-
IMS系: 瞑想を通じて「心の本質」を洞察し、解脱・慈悲・智慧を育む(宗教・修行としての道)
-
MBSR系: ストレスや不安を軽減し、自己調整力を高める(医療・心理学としての道)
この二つの流れが、ほぼ同時期に発生し、互いに影響を与えながら発展していきました。
つまり、マインドフルネスは「宗教的修行」からも、そして「科学的実践」からも育ってきた双子の流れなのです。
🔸 ジョン・カバットジン(Jon Kabat-Zinn): 科学的マインドフルネス
現代マインドフルネスの出発点の一つは、
1970年代アメリカでの ジョン・カバットジン(Jon Kabat-Zinn) による
MBSR(Mindfulness-Based Stress Reduction/マインドフルネス・ストレス低減法) の開発です。
彼はボストン大学医学部で、慢性痛やうつ、不安障害の患者に
仏教的瞑想を応用したストレス低減プログラムをつくりました。
これが、のちに世界的に広まるマインドフルネス・ムーブメントの原型の一つです。
🔸 カバットジンは「禅」とういより、「ヴィパッサナー」
カバットジンはよく「禅僧のような科学者」と呼ばれますが、
実際に彼が学んだのは、ミャンマー(ビルマ)やタイの上座部仏教の瞑想法でした。
その中心が「ヴィパッサナー(vipassanā)」と呼ばれる“洞察の瞑想”とサティ(念)。
それは欧米では インサイト瞑想 の場(IMS :Insight Meditation Society)などを通じて広がり、ビルマ系の伝統――マハーシ・サヤドー
およびタイ森林派(アーチャン・マン〜アーチャン・チャー)に深く根差しているようです。
ヴィパッサナーの中核にあるのが「サティ(sati)=念」。
これは、今この瞬間に起きていることを、判断せず、操作せず、そのまま観察する力のこと。
したがって、カバットジンが取り入れた「マインドフルネス」は、
“観察”“気づき”“非介入”を柱とする上座部仏教(小乗仏教)の流れを大きく受け継いでいるのです。
しかしジョン・カバットジン自身は、実際に禅も学んでいました。
彼はMIT出身で、鈴木俊隆(Shunryu Suzuki)や千坂玄雄(Seung Sahn)といった
アメリカ禅僧の教えにも触れています。
しかし彼が体系化したMBSR(Mindfulness-Based Stress Reduction)は、
実践技法としては明らかに上座部仏教の「サティ(念)」と「ヴィパッサナー」が基礎。
(ただし、理論枠組みは禅・大乗の非二元性にも開かれた「普遍的ダルマ」としても提示されている。)
🔸 ジャック・コーンフィールドら「第一世代の欧米瞑想教師」:修行系マインドフルネス
1970年代にインドやビルマで修行した
Jack Kornfield(ジャック・コーンフィールド)、
Sharon Salzberg(シャロン・サルツバーグ)、
Joseph Goldstein(ジョセフ・ゴールドスタイン) らも、
同じく上座部仏教のヴィパッサナー瞑想を学び、
これをアメリカに紹介した修行系のマインドフルネスの“第一世代の瞑想教師”です。
従ってこちらも、上座仏教系なので、禅とはあまり関係がありません。
彼らが設立した「Insight Meditation Society(インサイト瞑想センター)」は、
今日の欧米マインドフルネスの聖地とも呼ばれ、
「観察する」「気づく」「判断しない」という技法がここで体系化されました。
🔸 ジャック・コーンフィールド ― 「慈悲をもつマインドフルネス」
ジャック・コーンフィールドは、
現代マインドフルネスの広がりを語るうえで欠かせない存在です。
彼は、上座部仏教の修行と西洋心理学を結びつけた最初の架け橋の一人でした。
1960年代後半、アメリカで心理学を学んでいたコーンフィールドは、
ベトナム戦争の混乱と、当時の精神文化の空虚さに深く疑問を抱き、
東洋の智慧を求めてアジアに渡ります。
そこで出会ったのが、タイの高僧 アジャン・チャー(Ajahn Chah)。
彼のもとで出家し、数年間にわたり森の中で厳しい瞑想修行を行いました。
このときに学んだのが、「サティ(念)=今この瞬間に気づく」という上座部仏教の実践――
のちに欧米で「マインドフルネス」として知られるようになる技法です。
帰国後、同じくアジアで修行を終えた ジョセフ・ゴールドスタイン、シャロン・サルツバーグ らとともに、
1975年に Insight Meditation Society(IMS) を設立。
これが欧米における「インサイト瞑想(ヴィパッサナー)」の拠点となります。
コーンフィールドの特徴は、
単に“観察する瞑想”を教えるだけでなく、そこに思いやりと温かさ(compassion)を重視すること。
彼はよくこう言います:
“Mindfulness without love is not true mindfulness.”
(愛のないマインドフルネスは、本当のマインドフルネスではない。)
その後、彼はカリフォルニアに Spirit Rock Meditation Center を設立し、
「日常に根ざした慈悲の瞑想」を通じて、数十万人の実践者に影響を与えました。
彼の教えは、宗教という枠を超え、
「気づき」と「愛の統合」を目指す現代マインドフルネスの方向性に大きな影響を持ちました。
まとめ
こうして、コーンフィールドたちの「気づきと慈悲のマインドフルネス」は、
同時期にジョン・カバットジンの「科学としてのマインドフルネス」と共鳴し、
世界的な“マインドフルネス・ムーブメント”へと発展していきました。
現代マインドフルネスは「禅」というよりは、
実践技法としては圧倒的に上座部仏教の“気づき(サティ)/洞察(ヴィパッサナー)”が中核です。
禅は文化的なバックグラウンドとしての橋渡し役を担いつつ、
核となる手法は上座部系で標準化・普及してきたと言えると思います。
補足: サティ(sati):Pāli語。
しばしば「気づき」「注意深さ」と訳されるが、想起・保持(remembering/holding in mind)の側面も指摘される。

