レベル0からの数学論(第1回)数学とは何か?「数学が始まるための条件」

この記事では、数学の“中身”ではなく、そのもっと手前にある
「レベル0=数学が成立するために必要な最低限の条件
をごく簡単に解説します。

数える・区別する・因果・時間・等間隔など、あまりに当たり前すぎて気づかない必要条件を、ゼロから問い直してみます。

これは「レベル0からの数学論」シリーズの第1回です。

このシリーズについて

「レベル0からの数学論」は、数学の内容を学ぶシリーズではありません。
むしろ逆に、

  • 小学生の算数

  • 中学・高校の数学

  • 現代数学

  • そして自然科学全体

が成立するために、“最低限そなわっていなければならない条件”を、基本から問い直すシリーズです。

簡単な算数の足し算をする時には、当たり前だと思っている
「数える」「区別する」「並べる」「因果」「等間隔」。。。
といった概念がどうしても必要であるということ。

──この“レベル0”を探ることで、
数学を支える 絶対に必要な前提条件が浮かび上がってきます。

この第1回では、数学が始まるための“いちばん手前の入口”からお話します。

数学や科学の発展のおかげで、
私たちはスマホを使い、通勤電車に乗り、回転寿司で美味しくマグロを食べています。
これらはすべて、数学と科学がなければ実現しなかったものです。

数学に毎日依存しているからこそ、もう一度、基本の基本から見直してみる価値もあります。

 実は数学が苦手?

僕自身が数学が得意ではありません。。。
だからこそ、「数学が始まるための最低条件」という
いちばん根本の部分が、むしろ見えやすいのだと思います。

このシリーズでは、数学が苦手な人でも手軽に読めるレベル、

簡単な引き算や足し算ができるためには、何が必要なのか

をやさしく説明していきます。

 

⭐ 数学の三つのレベルとは?

数学および科学に関する議論は、とりあえず次の三層に分けてみたいと思います。


レベル0とは?: 「数学以前の世界」とは?

ここで扱うのは難しい数学の内容ではありません。
小学生が簡単な算数をするために必要な“最低限の条件”とは何か?
という、もっと素朴で基本的な話です。

たとえば:

  • 数字を区別できる
     (「1」と「2」は違うものとして認識できる)

  • 順番を理解できる
     (「1番目」「2番目」「前」「後」)

  • 等間隔という概念がある
     (1と2と3と4の“間”が等しいという世界)

こうした最低限の条件が整っていなければ、
1+2という式を書くことすら無意味になります。

また、1・2・3・4 の間隔が等しくない世界では、
定規でテーブルの長さを測ることもできません。

ここでは、数学の専門的な話のはるか手前、
「最低限必要な条件”」の話をしています。

僕がこのシリーズで扱いたいのは、まさにこのレベル0だけです。

では。。。次のレベルとは何か?


レベル1とは?:基礎数学・算数

  • 足し算や引き算
  • 自然数・整数・実数 などなど。。。

  • 定理・数式

  • 証明

いわゆる学校で習う意味での『算数や数学』の世界です。
ただしこれは、レベル0の前提条件が成立して初めて成り立ちます。


レベル2とは?: 理論(高等数学・物理学)

レベル1で整った数学という“道具箱”の上に、
さらに専門的な理論(モデル)が積み上がっていく領域です。

高度になると専門家の間の、難解な世界になっていきます。

  • ユークリッド幾何学・非ユークリッド幾何学

  • ニュートン力学・マクスウェル方程式

  • 特殊相対性理論・一般相対性理論

  • 量子力学・量子場理論・弦理論……など

ここは、基礎数学(レベル1)を材料として、

「世界をどのようなモデルで記述するか」

を専門家が競い合っている領域です。


曲がった時空、多次元宇宙、確率的な世界像……
この「難解な理論」はこのレベル2に属し、レベル1(基礎数学)の上に立っています。

⭐  レベル0は、語られていない?

今の数学・科学の議論は、

  •  レベル2(理論)の競争

  •  時々レベル1(基礎数学について)

という場所で行われているように見えます。

ところが──

レベル0=最低限の前提
これは、ほとんど議論されていない様です。。。。。

しかし。。。 レベル0が成立しない場所では、数学はそもそも動きません。


数字の区別がつかなければ、「1」+「2」という数式を書くことすら意味がなくなる──
それほど根本的な領域なのに、ほとんど語られていません。

専門外の私から見ると、むしろここが一番気になります。

なぜなら、一番の基本についてだからです。

なぜなら、ここを見直すことが、

数学そのものの構造全体を、もう一段深い場所から考え直す

ことにつながるからです。

数学の基本を考え直すことが、数学の全体を考え直すこと

ここまでが数学のレベル0の全体像でした。
でもこの「レベル0」という発想自体、実は数学ではほとんど語られていない様です。。。

では、この“数学の前提の前提”は、いったい誰が扱ってきたのか?
実は、この問いは数学者ではなく、哲学の側で長い伝統を持っています。

 レベル0の認識論や存在論は昔から存在するが…

哲学の世界では、
まさに「レベル0」に相当する話し──
人間の認識や世界の前提そのものを問う議論──は、昔から数多く存在します。

たとえば:

認識論
「私たち人間は世界をどのように認識できるのか?」
(カント、現象学など)

存在論
「何かが“存在する”とはどういうことか?」
という根源的な問い

こうした領域は、哲学では長い伝統があります。

しかし、不思議なことに……

数学そのものについて、
“レベル0=数学が成立するための前提”を丁寧に問う試みは、ほとんど行われてきません。

(そして言うまでもなく、数学の専門家の議論では、数学が成立した環境の中での議論──
数式、定理、証明、モデル──は膨大にありますが。。。)

⭐ 数学とは人間にとって何か?

認識論や存在論が世界の前提を問う一方で、
もう一つ人間にとって「科学や数学とは何か?」を問う重要な流れがあります。
それが実存主義などです。

こうした問いには、多くの哲学者が向き合ってきました。
特に実存主義──キルケゴール、ハイデガー、サルトルなど──は、

数学や自然科学は、人間の「意味」「価値」「生の実感」、そして「質」を扱えない

という批判してきました。

仕事の「達成感」や、悩んでいる時の「苦しみ」や「不安」は、
数字の世界では表現できません
その通りです。

しかし、僕が問い直したいのは、
この様な「質 vs 量」という対立ではありません。

そもそも“量”そのものが成り立つための、いちばん土台の前提とは何か?

もっと言えば、
数学や科学が成り立つための 「前提の前提(レベル0)」 を見つめ直すこと。
これこそが、このシリーズの出発点です。

僕は、数学や科学の専門家ではありません。
だからこそ、専門外の立場から見えてくる「もっと手前の盲点」があると感じています。

それがまさに、
数学や科学が成り立つための“前提の前提(レベル0)”を丁寧に見つめ直すこと。

これは、根本の根本から問い直す、いわば“メタ議論”です。

⭐ サッカーの例では、レベル0のはどう見える?

数学の話は抽象的なので、
ここではサッカーの例でイメージしてみましょう。

僕が扱いたいのは、戦術や難しいフォーメーションではなく、

「そもそもボールもコートも選手もなければ、サッカーは始まらないよね?」

というレベルから考え直すことです。

 レベル0

  •  サッカーをする「グラウンド」がある

  •  サッカーの「ボール」がある

  •  サッカーに参加する「選手」がいる、などなど。。。

つまり、そもそもサッカーというゲームが成立するための土台条件。

これらがなければ、サッカーは成立しません。

 レベル1(ルール)

  • 手を使えない

  • ゴールで1点

  • オフサイド

  • 前半と後半がある。。。などなど

 レベル2(戦術)

  •  詳しいフォーメーション(4-4-2、4-3-3…など)について

  •  細かい戦術(カウンター、ポゼッション)の調整について

  •  どのタイミングで誰を交代させるか……

ここは、専門家どうしが緻密に議論する世界です。

いまの数学・物理の専門家の議論は、ほぼこの「戦術(レベル2)」に近い。

僕が扱いたいのは、
「そもそもサッカーボールがないとサッカーは始まらないでしょう?」
という、レベル0の話です。

⭐ 前提を問い直すと、数学が「健全」に?

数学や科学の中身だけの議論を続けていると、人間の世界観は狭くなり偏っていく可能性があります。

  • 「科学で証明できないものは存在しない」

  • 「数値化できないものは信用できない」

  • 「算数は誰がやっても「同じ答えが出る」ので、必ず信用できる、普遍的な方法だ」

このような態度を、現代人は無意識のうちに身につけています。

だからこそ、

前提(レベル0)を本気で問い直したとき、数学と科学は「健全な位置」に戻る。

これは数学や科学を否定するための議論ではありません

むしろ、優秀な道具であるがゆえに、私たちは
「この道具が世界のすべてを説明できる」と錯覚しがちだからです。


特殊な条件の中でだけ力を発揮する“特殊な道具”にすぎないのではないか?

でも数学や算数は、実は

様々な条件が整った“ごく限られた内側”でだけ働く構造なのかもしれない

もしそうなら、数学がスムーズに適用できるこの世界の方が、
実は「特別な領域」「例外的なゾーン」なのかもしれない。

だとすれば──

その例外だけを“すべて”とみなすのではなく、
むしろその例外の外側に、
人間が本来向き合うべき世界が広がっているのではないか。

数学を否定するのではなく、むしろ

“とても優秀だが、扱える領域はかなり狭いツール”として正しい位置に置き直す。

それが、僕のねらいです。


■ 最後に:みなさんへのお願い

私は数学の専門家ではありません。
だからこそ、価値があると考えます。

*レベル0の前提条件とは何か?
*他にどんな条件があるのか?

あなたの考えも教えてください。

このシリーズは、「みなさんと一緒に考える」シリーズです。

⭐ 結論:数学を支える「必要な前提」とは? 

数学や科学の限界を理解する第一歩は、
その具体的な中身について以前に、その土台(レベル0)を見つめ直すことです。

数えること、区別すること、同一性や因果の法則──

当たり前すぎて見えなくなっている前提」を問い直すと、
数学も科学も、より健全な位置に戻ると考えています。

このシリーズでは、その“見えない土台”を少しずつ探っていきます。


従来の文系による科学批判は、

  • 「科学は意味や価値や生の実感を扱えない」

  • 「科学は量しか扱えない」

といった〈質 vs 量〉の軸で語られることがほとんどでした。

しかし私がここで試みたいのは、
それとは異なる種類の視点です。

「量」そのものが成り立つための前提条件とは何か。

そしてもう一歩踏み込み、

〈量 vs 質〉という対立そのものを生み出している
“三次元意識という枠組み”を、土台から見直せないか。

これが本シリーズの核心です。

区別、同一性、時間構造、等間隔、対称性、因果関係──
私たちの日常的な認識を支えているこれらの前提そのものを
ゼロから見つめ直すこと。

その作業を通して、
数学や科学の“正しい位置づけ”が自然と見えてくるはずです。


次回は「レベル0」の第1回として、
「区別とは何か?」
から話を始めます。