レベル0からの数学論(第7回):足す・引く ― 計算の前に必要なOS

前回までの記事では、数学が「時間OS(前・今・後/一方向/ほぼ一定)」に依存していることを見てきました。
今回は、いよいよ小学校レベルの核心──

足す・引く(+/−)が“できる”とは、どういうことか?

をレベル0から確認します。

ここで扱うのは、

小3レベルの計算が当たり前にできているとき、人間の意識の側に最低限必要な能力は何か?

という成立条件です。

(因みに、「生まれつきそなわっているか VS 生まれてから学習したものか」という区別は、このシリーズの関心ではありません。)

数学や科学は、人間が持ちうる最も強力な知の道具のひとつです。
私たちが世界を測り、比較し、予測し、技術へ変換できるのは、数学が驚くほど整合的で、共有可能で、繰り返し使える形として働いているからです。

だからこそ逆にその基本を点検する価値があります。


このシリーズは、数学の成立条件(レベル0)から考え直し分解していく試みです。

この記事は「レベル0からの数学論」シリーズの第7回です。

■1 足す以前に必要なOS:グループ化と数のコンセプト(書き直し案)

足し算・引き算の前に、まず必要なのは最低限次の2つです。

① 類型化(同じものとしてまとめる)

リンゴが2つあるとき、私たちはそれを「リンゴが2個」と言えます。
これは、目の前の2つを 「同じ種類」と見なし、ひとまとまりとして理解できる という、人間の基礎的な能力(OS)が働いているからです。

② 数(何個あるか)というコンセプト

さらに、「1、2、3…」と数え上げて、最後に呼んだ数が「全体の数」だと分かる。
この 数えるという能力 がなければ、そもそも

 3 に 2 を足す    5 から 1 を引く

という話さえも成立しません。

(他にも当然たくさんあると思いますが、今回はここまでにします。)


補足:単位と順序がそろうと、計算が“安定する”

算数では、この「同じ種類としてまとめる」ことが、単位(何を1として数えるか)をそろえるという形で現れます。
リンゴ2個+ミカン3個は「5個」とは言えても、「リンゴが5個」にはなりません。

また、足し算が自然に“安定した操作”として働くためには、足す順番を入れ替えても結果が変わらないという感覚も(ほぼ自動的に)前提になります。
つまり、2+3=5 だけでなく、3+2=5 でも同じ結果になる――この「順序を入れ替えても同じ結果に落ち着く」という前提があるからこそ、

足し算の計算を行えます。

カントとの違い

ここで述べている「類型化してまとめる力」や「数える力」は、哲学的にはカント以来、「多様な与件を概念のもとに統一する働き(総合)」として論じられてきた問題と重なります。

ここでカントが言う「総合」とは、バラバラに与えられている多様なものを「同じもの」として束ね、ひとまとまりとして扱えるようにする働きのことです。
ただしこの記事の目的は、哲学史の整理ではありません。
小学校レベルの計算が“当たり前にできる”とき、意識の側に最低限そろっている前提(OS)を分解して見える化することにあります。
つまり、カントが提示した枠組みを「より手前のレベル」に下ろして、足す・引くという行為の成立条件を書いていきます。


■2 足すとは何か?

たとえば、

2 + 3 = 5

これは単なる記号操作に見えますが、レベル0から考え直すと、次の条件が必要です。

  • 「2個のまとまり」と「3個のまとまり」を、ひとつのグループとしてまとめ直せる

※ 私たちは足し算を「増える/減る」という物語として理解しがちです。これは「前→後」の時間感覚が安定しているときに自然に立ち上がる見方です(詳しくは前回を参照)。


■3 引くとは何か?

同じく、

5 − 2 = 3

が成立するには、次のOSが必要です。

  •  引いたもの(取り去ったもの)と、残ったものを区別できる (区別できる能力が必要

  •  残ったものを「同じものの続き」として理解できる (持続の感覚が必要)

  •  「5あるはず」に対して「今は3しかない」という 欠けた分(差)を感じ取れる

引き算は、単に“減る”だけではなく、

全体と部分を分け、「残り」の分を「残り」として特定できる

という人間としての世界の見え方に依存しています。

ここまでの条件をまとめると、足し算・引き算が可能なのは、世界が実際にそうなっているからというより、人間にとって世界が「同じもの」「まとまり」「数」「増減」「残り」として経験されるという、人間側の形式(OS)に支えられているからです。
すなわち、人間にとってこの世界は「足せるもの/引けるもの」として捉えられているから、足し算・引き算が成立するのです。


■4 掛ける・割るは、足す・引くの拡張である

今回は短くするために少しだけ触れることにします。

  • 掛け算:同じまとまりを「繰り返し」として扱う(例:3を4回)

  • 割り算:「等しく分ける」「1あたり」を取り出す(単位変換)

どちらも結局、土台には

類型化/グループ化/数えるOS/時間OS

が置かれています。


■5 まとめ:計算ができるとは、OSが整っていること

ここで強調しておきたいのは、これは数学や科学を否定するための議論ではない、ということです。


むしろ、人間という限られた認識の枠(OS)の上で、誰がやっても同じ計算に収束し、遠く離れた他者とも結果を共有でき、予測や技術にまで結びつく――その精度と再現性こそが、数学と科学の圧倒的な価値です。

だからこそ、その力を支えている「見えない前提(レベル0)」を点検することも大切にしたいのです。

小学生レベルの計算ができるとは、単に基礎的な計算方法を知っているだけではありません。それ以前に。。。

  • 同じものとしてまとめる(類型化)

  • まとまりを数として扱う(数えるというOS)

  • 前→後の流れの中で「増えた/減った」を感じる(時間的なOS)

  • 全体と部分を切り分け、残りを残りとして固定する(切り分け+持続)

こうした色々な前提条件が整っているからこそ、

2+3=5 という、最も基礎的な計算が「当たり前」にはじめて見える

のです。

カントは、数学の必然性を「人間認識の条件」から基礎づけようとしました。
しかし僕から言わせれば、数学は必然的に正しい というよりは、
数学がそのように見える人間という特定のOSの内部で数学が驚くほど整合的に働くからということです。


次回(第8回)予告:比較する・比べるとは何か?

四則演算の次に来る決定的なOSは、比較する/比べる

です。