2025年8月4日 / 最終更新日時 : 2025年8月5日 murata スピリチュアルな哲学 スピリチュアルなものを“未開”と呼んだ哲学──カントと西洋的理性の暴力 カント的な理性と植民地主義──カントが切り捨てた“魂レベルの知性・知識” ——スピリチュアル領域の植民地主義征服としての近代哲学批判 近代哲学の巨人、イマヌエル・カント(1724年4月22日 – 1804年2 […]
2025年8月3日 / 最終更新日時 : 2025年8月4日 murata 3次元神話の終焉 カントとスピリチュアル──五感では届かない霊的認識の可能性 人間の五感の外にある世界:カント哲学の限界を超えて 「私は五感しか持たない。ゆえに、世界の大半は“わからないもの”でできている。」 これは、単なる謙虚な言葉ではありません。 もしこの“わからなさ”をカントがもっと真正面か […]
2025年7月30日 / 最終更新日時 : 2025年7月31日 murata 3次元神話の終焉 カントの理性原理主義と、AI時代の理性帝国 導入──「理性の帝国」に支配される世界へ 今、AIが加速度的に進化する中で、「理性だけが真実を語ることができる」という信念が、 ますます社会のあらゆる領域に浸透する可能性もあります。 AIの発展により: 定量的・論理的な […]
2025年7月30日 / 最終更新日時 : 2025年8月2日 murata 3次元神話の終焉 カント哲学という原理主義:AIの理性によるAI植民地主義 スピリチャル哲学の立場から AI理性による「AI植民地主義」に入る危険 哲学者カントの時代は、理性を「啓蒙の光」として掲げる時代だった。 今その知性主義は膨張し、加速し、最後にはAIを作り出し、 そしてそのAIの知性に、人間は圧倒される。 そんな未 […]
2025年7月29日 / 最終更新日時 : 2025年7月29日 murata 時間・空間 カント哲学と臨死体験─NDE(臨死体験)が問いかける理性の向こう側 死んだらどうなるのだろう? 幼い頃から誰もが一度は考えるこの問いに、私たちはどこかでフタをして生きている。 科学でも、宗教でも、答えは割れていて──結局のところ、「わからない」というのが普通の答えだとおもう。 だが、その […]
2025年7月8日 / 最終更新日時 : 2025年7月17日 murata 3次元神話の終焉 理性で理性を超えるという逆説:ニーチェ、デリダ 東京から出ようとはしないで、東京だけから見た世界を、世界であるかのように語る。 日本にながら、日本から出ることを拒みながら、「日本以外の国もあるにちがないよ!」と訴える。 こんな矛盾はすぐに気がつきます。 でももし似たよ […]