瞑想ってなに?
瞑想も深まると、瞑想という手段方法や形と、悟り(目的)そのもの差が、無くなっていく。
道元は自らの立場を「仏法には、修証これ一等なり」と表現した。
全てが悟りであり、手段や方法も悟りであり、その上、全てが悟ってもいる。
瞑想も悟っている、手段も悟っている。
「瞑想って何か?」って、答えられるわけがない。
全てが瞑想であって、 瞑想でないものはない。
瞑想していないものも、またない。
空も、鳥も、ユーチューブの音楽も、瞑想(している)。
その上、
「瞑想」という手段と、 「瞑想中」という状態の間にも、 なんの区別もない。
「瞑想」という方法自体がが悟っているのだから、瞑想が「仏」そのもので、
しかも全てが瞑想であり、瞑想中なので、
瞑想でないものはない。