🌸愛を流す哲学②:「“好き”と“愛”の違い」──感情ではなく“流れ”としての愛
💫 “好き”は個人的、“愛”は普遍的
「好き」は、私たちの感情です。
毎日の生活では「好き」や「嫌い」にのせられて、感情を常に動かして生活しています。
ある相手やある対象を見て、「いいな」「共感できる」「大切にしたい」と感じる。
“好き”はいつも条件つきの心の反応です。自分の基準に当てはまると好きになれます。
一方の本当の“愛”は、もっと深いところにあります。
それは感情ではなく、存在の流れそのもの。
人間の評価や好悪を超えた、宇宙的なエネルギーです。
だから、個人としては自分を“好き”になれなくてもできること、自分に愛を流すことはできる。
“好き”が波のように揺れるとすれば、
“愛”は海そのもの。
波は風で変わっても、海は消えません。
🌷 “好き”ではなくても、愛は流せる
誰かを好きになれなくても、その人に愛を流すことはできます。
同じように、自分を好きになれなくても、自分に愛を流すことはできる。
“好き”はその日の気分で変わる。
でも“愛”は、意識で選ぶことができる。
だから愛は、状態ではなく「行為」であり「選択」です。
「もともと存在するもの」、宇宙の根源の流れをただ選ぶだけです。
愛とは、「今この瞬間、私の内側の源を開いておこう」という決意。
感情の起伏の上にある選択ではなく、
その奥にある静かな方向づけなのです。
もともと存在する、宇宙の永遠の愛の流れを選択することは、
表面の好き嫌いと無関係に出来ること。
🌿 愛を“流れ”として捉える
愛とは、静止したものではなく、
つねに動き、包み込み、癒していく流れ(Flow)としても捉えることができます。
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どんな人も、どんな自分も、その流れの中に常にある。
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流れを感じられないのは、愛が止まっているからではなく、自分が閉じているから。
だからこそ、
「好きになれない自分」にも愛を流すという行為は、
自分を再び“永遠の愛の流れ”の中へ戻すことなのです。
それは“自分を直す”ことではなく、
“もともとの愛の中に帰る”こと。
🌸 「好きになる」より、「愛の流れに戻る」
多くの自己啓発や心理学は、「自分を好きになること」を目標に掲げます。
けれど、愛の視点から見ると、それは途中段階にすぎません。
「好きになれない自分」を直そうとするよりも、
「どんな自分も愛の流れの中にある」と思い出すほうが、
あなたの心は、もっと楽に自分を好きになれるかもしれません。
愛は、感情の結果ではなく、存在の前提。
“好き”になってから愛するのではなく、
愛するうちに“好き”が自然に戻ってくる。
――順番が逆なのです。
☀️ まとめ
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“好き”は条件つきの感情、
本当の“愛”は条件を超えた存在の流れ。 無条件の愛・永遠の愛の流れ -
個人としては“好き”になれなくても、愛を流すことはできる。
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愛とは、感情を超えた意識の選択である。
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“愛の流れ”に戻るとき、自己否定は静かに溶けていく。
次回は、
👉 第3回:「愛は“賛成”ではない — 欠点を包み、磨く力」
で、“愛を流す”ことがどのように自己改善と成長につながるのかを探ります。