悟りとはなんであるか?
<悟りとはなんであるか?>
ものすごい深い深い幸せが、ここにあったとしましょう。
これは単なる「深い幸せ」ではなく、無限の幸せ、最高最上の幸せです。
で、それだけではなく、その上に、ものすごい愛があって、
それをその深い深い幸せに、足しましょう。
それだけではなく、その上に、とんでもない無限の「喜び」と、極上の「うれしさ」を付け加えて、
それだけではなく、その上に、想像をはるかに超えるすごい「自由さ」と、
普段は全く出会えない、美しい広大な「広がり」を付け加えて、
その上にまた、経験したこともないとんでもない「気持ちよさ」と、ありえない強度の「快感と快楽」を足して。。。
悟りとはこんな具合なので、表現できるわけがないものです。
ですから、悟りの説明を、
幸せであるとか、愛の事であるとか、自由だとか。。。いう事は、ぜんぜん的外れであります。
その代わりにもっと強調して、最高最上の幸せとか、最大最高級の快感だとか、
「とりあえずの説明」しても、以前不十分・不足し過ぎて、全然ダメなんです。
そもそも、
極上の愛とか、最高の自由、無限の喜びというだけではなく。。。
その上にまた、祝福というか、すべてからすべてへの「お祝い」でもあり、
その上に、「全体」のこと、「すべて」のことでもあり、
その上に、どこまでも純粋できれいで、神聖で。。。
こんなことを、表現できる言葉が、あるわけがないのです。
この指先の爪のことでもあり、
あなたの昨晩の夕ご飯でもあり、
子供の時の楽しかった体験や、怖かった恐怖心のことでもあります。
好きな事でもあり、嫌いな事でもある。
僕の父親でもあり、あなたのお母さんでもある。
絶対無とか、空とか、悟り、神。。。とか、とりあえず何らかの名刺を使って表現しても、
もとから我々の理解の範囲を全然超えているものなので、
どんな言語や理論で表現できる範囲を超えています。
でも、あえて言うなら、
愛とか幸せが、一番しっくりくる表現と思っています。