wisdom2.0Japanに参加して 1日目 ジョアン・ハリファックス老師・賢い希望とは何か?
< wisdom2.0に参加して 1日目 ジョアン・ハリファックス老師・賢い希望とは何か? > 2021・10月2日・3日
~ ジョアン・ハリファックス老師: ラディカルな現実を想像・創造する、賢い想像力とは?
~ 山口揚平さん: 天才とはなにか: 自分のなかの霊性=高い波動の意識を大切に育てる
~ 日本が発信すべきマインドフルネスとは: 個人レベル肉体レベルのマインドから、脱中心化するマインドフルネスへ
今日は、wisdom2.0 Japan 2021 に今日参加させていただきました。お陰様でとても面白い楽しい時間を持てました。ありがとうございました。
Wisdom2.0は、アメリカで始まった大規模な「マインドフルネスの国際カンファレンス」です。今年のテーマは「テクノロジー時代のウエルビーイングを考える」でした。
アメリカでは12年も続いている会議で、フェイスブックやグーグルなどのグゼクティブも出席する、マインドフルネスや瞑想・スピリチュアル系の代表的な会議として知られています。
環境問題から、最新のテクノロジー、ビジネスから、瞑想、スピリチュアルなど守備範囲が広い会議でもあり、様々なテーマに触れる事の出来る会議です。
ちなみに「シリコンバレーで例年行われる「Wisdom 2.0カンファレンス」は、24もの国から2,500人を超える人々が集います。」ということらしいですが、自分もいつか参加してみたいと思っています。
ジョアン・ハリファックスさん: 賢い希望 計算し過ぎず、想像力が無限な時の希望の力
今回のWisdom2.0の初日の中で、特にジョアン・ハリファックス老師の話が、とても僕の心には刺さりましたので、簡単に感想をシェアーしたいと思います。
このお話の肝を一言で言うと、計算しすぎず、想像力が無限に開かれ状態の時の希望の力は、極限状態をも一瞬で変えてしまえる。ということでした。
ハリファックスさんは、禅の老師でもあり、学者・社会活動家でもあり、ニューエイジ時代から活発に北米をリードしてきたインフルエンサーです。
文化人類学の研究や、自分のスピリチュアルな深遠な経験を、世界に発信している方です。
お話は、とても説得力があり、人文科学と精神世界の深い知恵の結合した、深い洞察力を感じました。
現在の様に大規模な自然破壊がどんどん進み、新型コロナが蔓延し、その他なかなか明るい希望や見通しが立てられな中で、
「希望を持つ」とはどういう事か、「希望をはたして持つことができるのか」についてのお話でした。
第二次世界大戦でドイツでのユダヤ人の強制収容所におけるものすごい極限状態をまず例に挙げ、そんな状態においてもまだ希望を持てたり、現実を良い方向へ変える力を持つ希望とはなにか?
それは彼女によれば、普段の普通の希望とは違う希望が存在する。
その希望を、「ワイズホープ・賢い希望」と、彼女は名づけました。
このワイズホープ・賢い希望が、今この時期にとても大切だというお話でした。
では、普通の希望と、この「賢い希望」はどう違うのか? ということですが、僕なりに以下勝手に要約させてもらいます。
(間違っていたらすみません、ハリファックス老師。。。)
まずは、この「賢い希望」とは、現実にきちんと対面した希望であるのでナイーブな希望ではなく、現実に根差している希望である。
そして非現実的な希望は、逆に危険でさえあるというお話、まさに大切な部分です。
同時にこの「賢い希望」とは、巨大な視点=無限の可能性から直感的に感じるような、希望であるという印象を僕は持ちました。
普段の希望は、計算され計画された中で感じた希望であり、そういう希望では、すぐ前の事情に左右され、人間の可能性や行動の幅を否定してしまう。
* その逆に、計算し過ぎず、人間の想像力が無限定で、現実的な狭い可能性に拘束されない時
⇒ 思わずいつの間にか(Spontaneous )大きな可能性や秘めた大きな希望がわいて出てくる
⇒ そうすると思いがけない素晴らしい未来や行動力を招き入れる
ですから、第二次世界大戦のユダヤ人強制収容所の様な極限状態であっても、「ワイズホープ」が現実を変える力のあるのは、
理論的に言えば、無限性の世界に源を発し、そこに依拠している希望であるからこそ、現実の可能性に拘束されない。(と本人は話したいのだと思うが、今回はここには踏み込まず、残念!)
今回は踏み込んで話してはいないものの、ハリファックスさんがよくお話している様な、慈悲・無条件の愛と、理論的にとても近い同じ構造であるようです。
「ワイズホープ」とは、理論的には「無限性」に源を発し、そこにつながった時の現実を変容する力の事。
では、ワイズホープに触れるにはどうすればいいのか?
* 自分が狭いルールや規範に構成されていない様な、「無限性に開かれた」状態でいる事で
⇒ ワイズホープ・無限の希望、そして自由で無条件な可能性と行動力が流入してくる
⇒ その結果、思いもよらなかったラディカルな現実を、想像・創造することができる
と言う事だと思います。
山口揚平さん: 天才とは? 自分のなかの霊性という天才性
その後も、なかなか面白いセッションが続きましたが、山口揚平さんのお話が印象に残りました。
山口揚平さんの話の、特に最後の方に、新鮮な面白さと、大胆さを感じました。 (山口さんの本はこちは)
最後の方にお話しした内容は、僕の言葉で自分勝手に表現してみれば。。。。
3次元だけではなく、多次元世界という現実に本当は人間は生きていて、その高い次元とのつながりにおいて、人間は本来は生きて存在すべきであると、
ざっくりこんな風なお話をしていたのではないのかな~ と感じました。
彼のお話から、僕が考えたことは、
* 「世間の周波数に必要以上に合わせない」・「自分のなかの霊性=高い波動の意識」を大切にする社会を育てる大切さ。
⇒ これが今回のお話しの肝である、自分の中の「天才性」に目覚めるということに重なります。
* ゼロと一の区別、有る・無いの差を克服した世界についてのお話し。言わば絶対無の世界、これを7次元と彼は呼んでいたのかもしれません。
⇒ そこはハリファックスさんのいう、慈悲の世界とつながります。この絶対無限の愛の世界に、自分を依拠すると、全体像が見えてくるという事を、もっとお話ししたかったのかな~~と、最後の部分で思いました。 すばらしい~!
* その様な、スピリチュアルを否定しない、むしろ意識の周波を高めていくことに積極的な社会は、
⇒ 高いレベルの変性意識に目覚め、多次元的な多重的な、本来の宇宙の姿に我々が目覚めていくことにつながりますね。
少し話は脱線しますが、他に僕がお話聞きながら考えたことは、、、、
* 最近は日本でも、多様性を尊重し育てようという事になってきましたが、多くの人が多次元的な世界に住まなければ、本当の「多様性」のある社会にはならない。
だって、3次元の基準しか知らないで、多様性も何もありえないのだからです。
AI社会・脳内チップの埋め込みと天才性
AIがこのまま深化し、近い将来多くの人の脳の中にAIチップを埋め込む時が来て、
その上、AIを人間はコントロールできなくなるという「2045年問題」の可能性を考える時、
テクノロジーの暴走を抑えるには、人間の心の進歩がますます大切になります。
本格的な心の進歩を志向するほど、人間の多次元的な意識構造に直面せざるを得なくなっていきます。
山口さんのお話は、その辺を考えると、一歩先の問題を見つめたお話だったと思いました。
AIテクノロジーの脅威のもとでの「天才性」とは、AIに回収されない能力を志向することになり、「霊性、スピリチュアル」に向かう事は、ごく自然な流れであると思います。
「天才」とか、「才能を発揮する」といっても、ほんとうに「神がかった」様な才能であるほど、理解できる人が少なくなっていきます。
「神がかった」ほどの天才性は、すぐ目の前で分かるようなものではなく、この次元で完結する才能ではなくなります。
そんな神がかった天才性が、AI社会を生きていく指針になる。そんなことも感じながらお話を聞いてきました。
ざっといえば、本日の感想はこんな感じです。 とにかくとても楽しい一日でした。
今回は、会議の質問やコメント役としてオンラインで今日も参加させていただきましたが、明日が楽しみです。
日本が発信するべきマインドフルネスとは?
「Widom2.0Japanは、日本のマインドフルネスをアップデートし、これからの日本社会のOSとするインパクトをお伝えしたいと考えています。」と、この会議の方向性についてHPにも載っています。
僕が考える日本が発信するべきマインドフルネスとは、個人レベルの肉体レベルのマインドから、脱中心化するマインドフルネスです。
現在のマインドフルネスの中心は、日本でも北米でも、あくまでも現代社会の常識的な理解に上手く当てはまるマインドフルネスです。
いわば、現代の常識の範囲で扱える「コンパクトなマインドフルネス」です。
コンパクトで便利で、世の中に普及しやすいものの、本来の「マインド」の大きさと可能性を考えた時、現在の主流である3次元志向のマインドフルネスは、ある意味妥協の産物とも言えるかもしれません。
なぜなら本当の「マインド・心・意識」とは、宇宙意識の事。普段の意識状態をはるかに超え、この宇宙意識とは、様々なレベルがありますが、究極的には「無限」そのものの事です。
ですから、本来のマインドフルネスとは、無限である宇宙意識を理解する事、もしくはそれに向け志向するものです。
西田哲学で言う、絶対無についてのアウエアーネス(気づき)であり、絶対無(無限)が絶対無(無限)を体験すること、いわば自分自身を体験するものです。
マインド・意識というものは、無限の段階があり、普段の3次元の意識状態はいわばそのほんの一部。
ですから、マインドフルネスが、そのほんの小さな一部である、普段の意識状態にこだわり、そこだけを志向するのであれば、これは単なる自己制限です。
(「人間の「心」は、多次元的・重層的で、3次元の上での毎日の普段のマインドは、その一部を切り取ったものに過ぎない」ということについては、こちらの記事でも書きましたので読んでみて下さい。)