クラッシックで朝の瞑想 気軽に2分間だけ 「瞑想」という呼び方について
「瞑想する」って気負わずに、まずは気軽に、自分のやり方で、やるのがコツです。
意識の深め方、破り方は、人それぞれです。
ですから、いわゆる「瞑想している」って、考える事もないと思います。
他の人のやり方に、無理に当てはめることはありません。
我々の普段の意識の状態や幅は、とても狭いもの。
その狭い範囲の中で、いつも生活しています。
それどころか、その範囲しか「存在しない・ありえない」、もしくは、その範囲以外は「信用できない」。
そんな感覚を、深く信じ込まされて、この現代世界は成立しています。
そんな狭い範囲に閉じ込めてしまっている強固な枠組みを、だんだんとゆるませていく。
ですから、そんな「ゆるませて行く作業」を、わざわざ「瞑想」と呼ぶこともないのではないか。
もしくは「瞑想」という言葉で、統一しなくてもいいのではないか。
そんな気がしています。