3次元だけしか存在しない?それは近代の発明品でしかない!
3次元しか存在しない? 異次元なんて嘘? はぁ~?
そんな“ありもしない幻覚”を、常識として信じ込まされているのが、現代という時代です。
まるで、異次元も魂も神も、全部「ないもの」として。
本来は存在しない、ありえない世界観をリアルとして、進歩の証として、毎日我々は生きています。
異次元はもちろん存在する。だって、スピリチュアルな皆さんは、経験を通して、実際に経験済み。
大きな声では言えないだけ。
そんなこと、体験すれば、ごく当たり前。 否定することこそ、ばかげている。皆さんはそう思っているはず。
でもでも。。。そんなありえない“薄っぺらな世界観”を、私たちはいつから当たり前と思い込んでしまったのだろう?
「この世界は、見えるものだけでできている」 「目に見え、物質を中心とした、測定可能なものだけが現実である」
そんな前提を、私たちは無批判に受け入れすぎている。
しかし、この“常識”とも思える(実は非常識な)世界観は、実はごく最近――近代以降に構築された発明品にすぎないのです。
そうです。
最近になって人間が勝手に作り出した「創作品」「物語」です。
この記事では、20〜21世紀の哲学者・宗教史家・霊性思想家たちの著作をもとに、
「なぜ私たちは“3次元”だけをリアルと感じるようになってしまったのか」を、簡単に問い直します。
1|Huston Smith:「忘れられた真理」と多層宇宙
宗教学者ヒューストン・スミス(Huston Smith)は、著書『Forgotten Truth: The Common Vision of the World’s Religions』(1976)において、こう述べている:
“The modern Western world is the only civilization in history to view the physical world as the only reality.”
(現代西洋は、歴史上唯一、物質世界のみを現実とみなした文明である)
スミスは、いま現代社会では常識になった近代西洋的な考え方、「この3次元、物質世界しか存在しない」という考え方こそが、例外であると言っています。
そして、古代からの宗教的伝統に共通して「多層的宇宙観」が存在することを指摘しています。すなわち多次元が存在する宇宙とは:
- 感覚的世界(物質)
- 心的世界(魂・感受性)
- 精神的世界(霊)
- 超越的世界(絶対)
これらの次元は、上位の次元ほど普遍性が高く、実在性が深いとされていた。
近代はこの逆を行った――「物質だけが確実である」と。 現在の「3次元中心主義」の確立です。
“We have reversed the ancient wisdom hierarchy.”
(私たちは、古代の知恵のヒエラルキーをひっくり返してしまった)
2|Ken Wilber:フラットランド批判と多次元的意識
意識論・統合思想で知られるケン・ウィルバー(Ken Wilber)は、著書『The Eye of Spirit』(1997)や『A Theory of Everything』(2000)などで、近代科学文明の“偏り”をこう表現する:
“Modernity flattened the Kosmos into the cosmos.”
(近代は、コスモス(魂・精神を含む宇宙)を、単なるcosmos(物質宇宙)へと押しつぶした)
ウィルバーは、現代人が“物理的三次元空間”だけを実在と考えるようになった背景には、内的体験やスピリチュアルな霊的知覚を、「主観」として排除してきた歴史があると指摘する。
“Flatland is a world where only surfaces exist.”
(フラットランドとは、表面しか存在しない世界である)
もともと存在しない、3次元だけの、平面的な、フラットな世界を作り出した。そして、宗教・芸術・深層心理・瞑想などは、この“フラットランド”の外側――多次元的リアリティに触れるための装置であったとウイルバーは述べています。
3|Thomas Berry:「宇宙は生きている」
宗教哲学者・環境思想家のトマス・ベリー(Thomas Berry)は、著書『The Dream of the Earth』(1988)や『The Great Work』(1999)において、次のように述べている:
“The universe is a communion of subjects, not a collection of objects.”
(宇宙とは、主体の交わりであって、物体の集合ではない)
“We have desacralized the world. We no longer hear its music.” (私たちは世界を神聖ではないものにしてしまった。もはやその音楽を聴こうとしない)
ベリーにとって、**近代的世界観とは「霊的耳を失った状態」**である。 自然界・動物・大地・水・星――これらが持つ“声”を、現代人は聞き取ることができなくなった。
彼は、「現代人が“単なる物体の集合”とみなすこの世界は、本来、霊的交響体である」と主張する。
4|Jean Gebser:意識構造の変遷と“透明な世界”の喪失
ドイツの文化哲学者ジャン・ゲブサー(Jean Gebser)は、著書『The Ever-Present Origin』(1949)において、人類の意識には歴史的な構造変化があると述べた。
彼によれば、意識は以下のような段階を経てきた:
- 原始的・神話的意識(神秘的に世界と一体)
- 魔術的意識(象徴と儀式による関係)
- 神話的意識(時間と物語による世界理解)
- 理性的意識(近代の論理・空間・客観性)
そして、これから現れるべきは、
“アポロ的理性”ではなく、“透明性(diaphaneity)”による多次元的共在の意識”
ゲブサーは、「時間・空間・物質という制約を超えた“全体性の意識”」を回復する必要があると説き、近代が切断してしまった“内的・霊的次元”の復興を主張した。
ただし。。。 これらの学者が、いくら声をあげても、焼け石に水の状態です。
あまりにも数が少なく、絶対多数の3次元中心主義の前では、何の影響力にもならないのが現状ですから。
5|Iain McGilchrist:左脳の帝国と“聖なるもの”の忘却
精神科医であり、哲学・神経科学・文学を横断する知の巨人、**イアン・マクギルクリスト(Iain McGilchrist)**も、現代社会が「平面的な世界観」に陥った背景を、脳の左右半球の機能分化から読み解いている。
彼の主著『The Master and His Emissary(主人と使者)』ではこう語られる。
「現代文明は、主人であるべき“右脳”の叡智を失い、使者である“左脳”の分析と操作だけで世界を支配しようとしている。」
(The Master and His Emissary, 2009)
マクギルクリストによれば、右脳は全体性、関係性、意味、象徴、霊性、詩的直観を司る。
一方、左脳は分解、定義、効率、制御、物質性を好む。
近代以降の世界が、左脳の性質に“傾倒”しすぎたことが、結果として「3次元だけが現実だ」という還元主義的・唯物論的な思い込みにつながった――と彼は主張する。
この思い込みは、すでに神経学的にも歴史的にも、そして哲学的にも限定された解釈であると、マクギルクリストは断言する。
「私たちは“世界”を見ているのではなく、“左脳によって編集された世界”を見せられているだけかもしれない。」
彼の近著『The Matter with Things(2021)』では、こうした傾向がいかにして「意味の喪失」「神聖なるものの否定」「魂との断絶」を招いたのかを、1500ページ以上にわたって論じている。
6|なぜこの視点が重要なのか?
- 私たちはいつから「3次元=唯一の現実」と信じ込むようになったのか、信じ込まれてきたのか?
- それは進歩か? それとも、本来は存在しない、非現実的な幻想的世界観の体験か?
こうした問いは、スピリチュアルや宗教の話だけではない。
それは、「人間の存在の深度」そのものを問い直す作業である。
もしも、心の奥・無意識・夢・直観・死・魂・神などが、すべて「現実ではない」とみなされているならば、 私たちは自らの存在の半分以上を、“フィクション”として切り捨てて生きていることになる。
終わりに:見えないものが“ある”という力
「見えないけれど、あるかもしれない。。。」「3次元では存在しなくても、異次元には存在する。」
そんな感性や感受性を、もう一度取り戻すことができたとき、 私たちは3次元の檻を開き、多次元的な存在としての自分を再発見できるはずである。
次回は、こうした感受性を豊かに持っていた日本の古典的な人達、例えば、空海や日蓮、修験道の行者たちが見ていた魔物や異世界の体験などについて取り上げていきます。
* この記事は、AIとの対話を通じて得た草案や知見をもとに、筆者自身の視点で再構成・加筆したものです。