自己肯定感と多次元
<自己肯定感と多次元>
自己肯定感は、常に上下し安定していないもの。
いつも強い肯定感の中で行きたいものだが、そう簡単ではないからこそ、
自己肯定感が下がっている時には、「今の自分には自己肯定感が足りなく、マイナス思考になっている」と気が付けるだけでも、
かなり気分が楽になり、その時の苦しさから解放される。
「今私が小さなことに左右され動揺しやすいのは、自己肯定感が低い時なんだ」と気が付ければ、
マイナス思考の負のループや、自分を攻撃してしまうマイナスのスパイラルから抜け出やすくなる。
もしそうであるならば、まずは「今の自分は自己肯定感が低い時なのだ」と、自分で気が付くことが大切になってくる。
この気づきについて、話す事は簡単であっても、実行するのはそう簡単ではない。
なぜなら、特に自己肯定感が低い時には、その気づきを得ることが余計に難しいのに、
そういう時こそ、この気づきが必要で有効であるという、ねじ曲がった構造であるのだから。
ただし、常に左右され、どうしてもブレてしまい安定できないというのは、この3次元全体に言える事であって、
「自己肯定感が低い人」や「自己肯定感が低い時」だけで限られたことではない。
なぜならば、この広い多次元出来な本当の宇宙において、
高次元の世界というものは、安心・安全・やさしさ・うれしさだけしか、存在しないからである。
そこでは、否定は基本的に存在的ない、もしくは常にとても弱く、常に肯定しかありえない、もしくはそれが常に圧倒的である。
だから、安心・安全・平和・愛・うれしさで、常に安定しているワンネスの世界。
しかしそこでは、この「常に不安定な世界、自己否定が常にあり得る世界」の中での学びは、まったく体験できない。
であるからこそ、この毎日の不安定で否定的な状態からの回復と卒業とは、貴重な体験となる。
この3次元には完璧・完全がないのはもちろんの事、もともと波動がとても低く、重たくて苦しい。
その上に、様々な悩みや出来事が起きてしまうという2重苦である。
ショックな出来事や、大切なものを失った時の深い悲しみなどを、誰もが簡単に体験してしまうので、
どんな人でも自己否定や自己嫌悪とは、つねに隣り合わせ。
だからこそ、学びも大きいという事でもある。
高い意識状態で体験される、さらなる「肯定」・「大いなる肯定感」の中でこそ、
3次元的な「自己肯定」も、その立ち位置を初めて確認されるのである。
自分を「好きになる」「愛する」ことの本質は、高い次元において初めて体験される。
「自分」という独立した存在が、「自分」という独立した対象を愛するという、3次元的な分断されている愛には、
愛の本来の姿は見えようがない。
だから自己肯定感を育てる・強くする際には、
ただこの3次元においての、自己肯定や安定を求めるだけではなく、
そこでは、常に不安定であるがゆえに、
一つ上の肯定や安定も常に求めておきたい。
またそのためには、3次元的な自己肯定からも距離を置き手を引く事が、
場合によっては有効であることも、覚えておきたい。
自分を愛する・自分を好きになるという事が、
普段の3次元的な自己肯定、3次元での自分を好きになる事で、終わってしまわないように、
そして、そこで終わって、そこで縛り付けられていることが、苦しみであるという事を、
多くの人が気が付けるように、共有しなければならない。
そうでなければ、「自己肯定」・「自分を好きになろう!」とは聞こえが良いものの、
まだ苦しい重たい状況に縛り付けることが、広く恒常化されてしまう。