異次元を証明できるか?  異次元の存在 科学は異次元を扱えるか? 

異次元を証明できるか・異次元は存在するか?  科学は異次元を扱えるか?

スピリチュアな話題を検索すると、異次元についての話が沢山出てきます。

 

このブログでも、「無数に存在する異次元の世界」どいう具合に、異次元の事がでてきます。

 

しかし果たして、「異次元世界は、現代の自然科学で証明できるのか」と、疑問に思う事もあるかと思います。

 

「まだ異次元なんて、科学で証明されていないじゃないか」と、思われている事も多いです。

 

自然科学への依存という問題

自然科学の発展が目覚ましいこの現代社会では、

 

「自然科学で証明されないと ⇒ 信頼できない」と、考える場合も多いので、それもある意味当然であると言えます。

 

しかし、科学を信頼する程度が大きいほど、自然科学の扱える守備範囲、自然科学でどこまでアプローチできるのかを、

 

ある程度は、分かっておくことが大切になります。

 

結論から言えば。。。

結論から言えば、異次元の存在を、現在の科学では、基本的に扱えません。

 

基本的には、科学の守備範囲の外にあります

 

ただし、かなり間接的に、もしくは境界線あたりの事だけ、ある程度アプローチできるという事になります。

 

なぜ異次元の存在の証明が、原則論的には不可能なのかと言うと、

 

異次元の存在自体は、異次元にしか存在しません

 

3次元に異次元は、そのまま持ち込めない。

 

せめて出来るのは、3次元の形式に一度直してから、たとえば、数式などで間接的に見るだけです。

 

数式はいつまでたっても、数式という、3次元の上での数字の羅列でしかありえません。 数字が並んでいるだけ。

 

数式やグラフなとは、あくまで数式やグラフに過ぎず、4次元そのものではないです。3次元の上でのデータでしかないのです。

 

だから、直接証明したことになりません。 すなわち、今の段階の科学では、その「影」が見えるだけ。

 

たとえUFOの物質を調べても。。。

世界各地で目撃される様な、何もないところに、いきなり表れて、そしていきなり消えていくUFOの様に、

 

たとえ向こうの存在が(例えばUFOという形で)、物質化して3次元に出現しても、

 

あくまでも、3次元と言う異次元の外部において、その外部(3次元)の形式になったから、出現できたにすぎません。

 

UFOを構成している物質を調べても、それがものすごいテクノロジーであっても、3次元化された物質を調べられるに過ぎません。

 

ですから、どこかの有名大学の研究室で、最先端の研究をしているチームが、

 

物質を自由に消したり出現させたりと、まるで「異次元ワープ」させた様に出来たとしても、

 

この3次元で出現した部分だけに基づいて、異次元を間接的に推測しているだけ。

 

3次元の中で消えた物がまた出現したという様なことから、向こうの異次元であろう空間を、

 

3次元の環境の中で3次元の感覚で、こちらから間接的に調査しているだけです。

 

外部から間接的に調査しいる限り、異次元の手がかりが、分かるにすぎません。

 

もしこの様な事が出来たとして、これを「証明」と呼ぶにしても、ごく間接的・部分的に理解し始めただけです。

 

ドラえもんのどこでもドア

ではもし、漫画のドラえもんの「どこでもドア」の様な、「異次元へのドア」が作れても、異次元への「入り口」しか作れません

 

ですから、この3次元の大学の研究室で作り出せるのは、異次元の「入り口」だけ。

 

入り口がもし作れても、「どこでもドア」の中に入らなければ、向こう側の世界はわからない。

 

ですから、詳しく本格的に最先端科学が、異次元の存在性やその内容を調査するのには、その中に直接入らざるを得ません

 

この当然の事実に、行きつきます。

 

異次元を本格的に調査・証明するには

海の中の魚の世界を調べるには、陸上の世界からわかることは限られています

 

海の中の世界を理解するのには、最低限として、海の中に入ることが必要条件です。

 

間接的な調査・証明ではなく、ほんの一部だけの調査に、甘んじないのであれば、

 

当然のこと、その中(海の中の世界)に入っていくしかない。

 

ですから科学がずっとずっと進歩して。。。まるで映画の様に、

 

異次元空間への入り口が、実験室の中にできたのなら。。。。

 

その中に入れば、異次元空間を、直接体験できることになります。

科学による異次元の調査とは?

では、異次元を調査しよう、異次元の構造を証明しようとして、

 

異次元に入ってしまえば、科学的な知識や調査方法はどうなるのか?

 

それは、3次元の物質がなくなったら、今の3次元の物質科学がつかえますか。。。という事になります。

 

異次元では、実験道具も、実験室もなくなり、実験するコンピューターも、今までのデーターも、実験する仲間もなくなり。。。

 

3次元を抜けたそんな状況で、自然科学が役に立つでしょうか?

 

実験する事さえできません。 コンピューターを入力する事さえできません。

 

実験室に歩いていくことも、実験室もありません。 実験室に行くために乗る電車さえもありません。

 

実験することもできない、だから証明することも、それ以前に実験の道具もなく、成果を学術誌に発表することもできないのに、

 

「科学的な証明・調査」というそのコンセプトが、成立しません。 

 

自然科学と言う概念自体が、その基盤や前提が、本格的になるほど、もう成立しない、

 

もうそれには意味がない。   そこが異次元です。

 

要するに、「現代科学に証明されていないので、異次元は存在しない」という、その前提が間違っているのです。

 

3次元にこだわり、その科学にこだわると、異次元は、ごく間接的に部分的に、漠然と理解するだけなのです。

 

ここに現代人の多くが、気がつく必要があります。

 

異次元に入れば、3次元のルールは通用しない

異次元と言うのは、入ってしまえば、3次元は消えてしまいます。

 

(又完全に消えない場合でも、3次元に物理的に参加し関与できなくなります。物理世界にはいませんので。)

 

入ってしまえば、異次元の世界です。異次元の構造に従って、異次元の世界が展開します。

 

自分の意識の働き具合も、まったくちがう。

 

直感がバリバリと働き、目の前には、じぶんが意識したものが突如出現してしまう。。。などなど。。。

 

数えきれないぐらいの大きな変化が起きてしまいます。

 

そこでは「コンピューターで計算しよう」という様な、現代的な試み自体が通じない。

 

そもそもコンピューターが存在しない代わりに、この直感の世界では、自分の意識がスーパーコンピューター以上に働きます。

 

そして中に入ってしまえば、そこには異次元が、当然のように存在するだけ。

 

元々存在しているものが、ただ存在しているという、当たり前を今さら見せられるだけです。

 

異次元を研究する為の科学の役割とは?

ですから、異次元ではなく、あくまで3次元の環境の中で、

 

ごく間接的に部分的にだけ「証明・調査」するのが、現代科学の立ち位置・役割です

 

ここまで書いてきて、今まで何が一番言いたいのかと言えば、

 

科学に異次元が証明できなくて、当たり前。3次元仕様にしかできていないからです。

 

「科学に証明されなければ、異次元は存在しない」という認識の代わりに、

 

⇒ 「科学の守備範囲外の事を、科学に任せない」という理解が大切です。 

 

つまり、「いつか証明される」のを待っているのではなく、自分で入って体験する必要があるのです。

 

魚が住む海中の世界には、陸上の世界はもうない。それだけの事です。

 

陸上の世界がそのままで、海の中の世界には参入できません。

 

プロの野球の選手に、水泳ができなくてもしょうがない。野球選手は、あくまで野球選手です。

ここに社会全体が気づかなければ、社会がここでつまづいてしまいます。

 

「3次元しかありえない」という、今の3次元中心主義(現代社会の基本OS)に、とどまり続けてしまいます。

 

ところが、本当の宇宙は、99.99%が異次元です。

 

だから、「異次元が存在するのか」ではなく、 ⇒ 「ほとんど異次元しかない」というのが実情です。

 

異次元を調べなければ、宇宙はほとんど何も分からないその99%は科学では扱えない。

 

では、その99%は、どんな分野で扱えるのか?

 

科学で扱えないものものは、何の分野で扱うものなのか?

この分野は、基本的には「スピリチュアル」・「宗教」的な分野であり、他にも様々な言葉・カテゴリーがありますが、

 

他の言葉で表現すれば、「意識の状態を変える事」、「心身の状態を変える事」です。

 

そして、科学に証明してもらわなくても、科学に調査してもらわなくても、

 

異世界が存在しているのは、人類は最近までは十分に認識していました。

 

その異世界に囲まれている感覚の中で、どっぷりと人間は生きてきたのです、科学文明が発達するまでは。

 

間接的な知識でも十分に役に立つ

異次元で直接体験したものを、こちらに帰ってから、3次元のフォーマットの情報・知識として有効活用することはできます。

 

直接体験する以外でも、その様な3次元上の間接的な理解が意味がないという事ではありませんので。

 

例えば、本などで異次元について間接的に理解する事でも、十分価値はあります。

 

例えば、最近は自然科学でも、トランスパーソナル心理学という分野もあります。

 

変性意識状態について、異次元などについて、間接的ではあっても様々な優れた論考が発表されています。

 

オーストラリアの熱帯雨林について、そこへ行かなくても、分かるためには、それについて本などで読むことができる。

 

同じように異次元について、文章で読むことで、それはそれで、とても重要で価値があります。

 

お経を読むとか、他の人の体験直接聞くなど、勿論それはそれで価値があります。

 

ただし、やはり今までの3次元の世界を実際に離れることが大切なのです。

 

そして3次元からの常識や事情や条件から、解き放たれている事やその状態を、満喫することが大切なのです。

 

3次元の環境から離れる = 異次元へ近づいて行く   という事であり、

 

3次元のいつもの環境を捨てていく = 精神的な成長が必要にある  ということになります。

 

3次元から離れている状態・環境を満喫する = 今まで知らなかった世界や存在の仕方をわかる  という事になります。