ただの尊い流れが循環しているだけがこの宇宙全体 スピリチュアルの排除 人間は多次元的存在
<ただの尊い流れが循環しているだけがこの宇宙全体> ~人間は多次元的存在で高い次元に属したいという根本的な要求をもつ。
こうして生きていると毎日の生活には誰でも、
怖い事、嫌な事、不安な事、受け入れられない事、悲しい事。。。などが、
沢山起きてくるが、
本当は、何が起こっても、
ただの楽しさ(悟りエネルギー)が循環しているだけなのである。
ただの楽しさと慶び(よろこび)が循環しているだけで、それ以外は何も起きようがない。
でもどうしても、色々なものに、とらわれてしまうのは、
この世界が構造的にとらわれやすく、できているからでもある。
良い・悪い、好き・嫌いだけではなく、様々な3次元的な意味を付けて生きているのは、
3次元での様々な出来事や現象に、きちんと対処し、立ち向かうには、必要でとても大切な事であるからである。
だからこの「縛り付け」は、この3次元での生活での避けられない、宿命みたいなもの。
この3次元では、3次元でリアルに体験される3次元的な意味の世界にどっぷりと浸かって、
様々な意味を感じ・読み取り・持ち込んで、色々感じ、
大いに楽しみ、大いに苦しんでしまうという、縛り付け・執着が起きてしまう。
(この自分自身の毎日こそが、悲しいかなそのよい例であるのだが。)
本当は、だだの純粋な慶び(悟り)が、ただ起き続けているだけ、
余りにも尊い流れに、優しく包まれているだけなのに、
いとも簡単に、悲しんだり、傷ついたりしてしまう。
だから、ここから出ていく動きや、
ここから、卒業することが大切になる。
しかしこれは、個人として独力で気が付く、出ていくのは、非常に難しい。
なぜならば、今の社会では、3次元絶対主義とても呼びたくなるような、
社会全体が大多数の人を、この世界に縛り付けている構造が普通で当たり前だからである。
本当は社会として、取り組まないと、個人だけではとてもやっていけない難しい事なのに、
今の様に大多数の人々を、個人だけではなく、社会全体がこの世界に縛り付けて、
それを何とも思えない、
そんな偏った社会を「進んでいる」などと、皆でお互いに信じこませてしまう、閉塞した社会になる。
今の日本は「スピリチュアル」が社会や文化の脇に追いやられて排除されている。
そういうとても大切な社会問題に、社会として気が付かなければならない。
社会全体が大多数の人間を、この世界に縛り付けている閉塞社会というのは、苦しみを人間に強要しているのである。
なぜならば、人間は元々多次元的存在であり、高い波動・高い次元を、常に希求している生き物だからである。
平面的にこの3次元上だけではなくて、
垂直方向にも、生きがいや、自分の帰属を求めていかなければ、人間は幸せになれない。
深い幸せや満足はこの次元では、全く分からないのだから、
「高い次元、多くの次元に属したい」という、最も根本的かつ神聖な衝動が、どの人間にもある。
または、「高い次元、多くの次元を行きたい・体験したい・旅行したい」という、
決して否定してはならない根底的な要求を持つ。
現代社会がどう考えようと、そもそも人間は多次元的に存在してしまっている。
それなのに大多数の人は普段、それにほとんど気が付けないような現在の社会構造は、
「いびつ」であるだけでは無く、「脱線」している脱線社会である。
そして、そういう垂直の方向性の存在性を許し認めるだけではなく、
それがとても大切な「人間としての根本的要素」であるとして、
社会が積極的にサポートすべきであって、
社会として垂直方向(異次元・高次元方向)への枠組みや教育がなければ、
人間の最も根本的で神聖な要求を認めない点において、国民(または構成員)に大切な義務を果たしていない。
だから基本的な人権を無視した社会であるとも言えるかもしれない。